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複合的な表現には無限の可能性がある
表現の枠にとらわれない人が好きだ。
どうしても「絵を描く人」「写真を撮る人」「音楽をやる人」「映画を撮る人」と、表現はそれぞれが独立してとらわれがちである。さらに、それぞれには油絵、水彩、アクリル、フィルム、デジタル、ロック、クラシック、ショートフィルムなど、さまざまな子カテゴリも存在し、自分の分野をとことん極めようとしている方も多い。
たしかに、それぞれの表現には特有の技術、経験が必要だ。専念することの大切さもわかるし、それは決して悪いことではない。しかし、「杉浦邦恵 うつくしい実験」を観てから、自由な表現をするためには、それらの垣根を取り払う思考も欠かせないのだと、改めて考えさせられた。少なくとも、自分はそうありたいと思う。
杉浦邦恵 うつくしい実験
東京都写真美術館に訪れたのは、かなり久々だ。お目当は「杉浦邦恵 うつくしい実験」。アクリル画と写真を並べて見せる作品を目当てに足を運んだ。
いつも美術展に行く時には、作品リストに書き込みをする。
好きな作品をチェックしその特徴や、いいと感じた部分、発見など、思ったことはなんでもを書く。自分がわかればそれでいいから、例えばモネの作品を観た時には「木の緑に少し青」といった具合に。
今回、目当の作品を前にした時、それができなかった。
もちろん、「いつも観ているのは絵であるから」という理由もあるだろう。でも、良いと思っていてもそれを言葉にできず、メモすら取れなかった。できたのは、作品番号に丸をすることだけだ。
恐る恐る言葉にするのであれば、絵と写真が同時に視界に入ることでそれらが融合した、境界線がない(もちろん境界線はあるのだが)、一つの作品と認識できるという点に至極の美しさがあった。どちらに焦点を合わせても、もう一方が視界に入るため、相互に影響を与えている「要素の一つ」になっている。
その手法自体は私が知らないだけで、決して珍しいものではないのかもしれない。しかし、その色合いや構図は、杉浦邦恵が創り出す唯一無二の世界だった。とにかく、うつくしい。
同じ構図かつ写真は同じで、絵の色が違う作品も展示されている。絵の色が変わるだけで、(当然ながら)写真の印象はがらりと変わる。絵と写真の内容や配置、色合い、一見無骨にも見える木の枠、すべてが考え尽くされた結果だと思うと、言葉の無意味さを感じる。
こればかりは、観てもらわないと感覚を共有することは難しい。本当に言葉は時に無意味だ。
写真好き、絵画好きはもちろん、写真や絵に興味を持っていない人にこそ観てもらいたい。2018年9月24日まで展示されている。自分の枠を壊したい、思考を柔軟にしたいという方は、足を運んでみてはどうだろうか。
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